でいちゅうのはす

ワナビーの随想めいた日記のようななにか

4月6日 XRP 100円超え ガチホの難しさを思う

 

 

仮想通貨のXRP、どれだけビットコインの価格があがってもぴくりともしなかったXRPの価格が大きく上昇している。50円くらいのところからするすると上がり、気づけば100円に到達していた。

 

けれど、忘れもしない昨年12月23日のリップルショックにより、僕の手持ちのXRPは一度手放してしまっている。とはいえ遊びで買い戻していた分が、実はある。往時の5%にも満たない数量だけど・・・。とにかく価格あがるのは嬉しい。

 

めでたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

ひとつの銘柄、コインをずっと持ち続けることを、仮想通貨界隈ではガチホという。調べたことはないし調べる気もないけれど、ガチンコホールドの略だと思う。

 

仮想通貨は、結局この「ガチホ」ができる人が儲かっている。

 

安いところで買って、ガチホし続ければ、勝利、というわけだ。

 

 

そもそも下値で買うのが難しいのだけれど、もし幸運にも下値で買えたとしても、ガチホするのが難しい。

 

ただ持っているだけじゃん! と思うのだが、やってみるとこれが実に難しい。

 

ガチホを約3年やって諦めて。諦めた3ヶ月後のいま、急騰を目の当たりにして、つくづくそう思った。

 

経験から獲得した結論を言えば、ガチホに必要なものは、「銘柄への深い理解。その理解からくる大局観と、最終的には銘柄への愛情ときに狂気」・・・である。ただ我慢強いだけでは至れない世界がそこにはある。

 

 

 

 

 

 

 

下がったら含み損に耐えなければいけない。ときに激しい下げに見舞われることがあるし、仮想通貨は騰落が激しいので、比喩ではなく資産がゼロになることがある。いまはたまたま価格が高いから何も思わないけれど、どの銘柄も価格があがるという保証はまったくない。下がっていて、巨大な含み損が発生し、現に資産価値がゼロになるのを目の当たりにすると、心情的に非常に厳しい。

 

ここで売らない選択は案外とできるものだ。というか損失が大きすぎて怖くて売れないことも多い。けれど、そのあと上がって、損失が小さくなる、あるいはプラ転をしたときはどうか。株などでは「やれやれ売り」などと言うけれど、この誘惑にも、不合理にも耐えなければいけない。

 

あがったらあがったで、利確の誘惑がある。適切な価格、利幅を見極めるのは実はとてもむずかしい。買い時よりも難しいのが実際だ。早く利食いしすぎればガチホにならない。しかし持ちすぎて売り時を逃すこともある。不思議なもので、賢くトレードしようとすればするほど、こうした罠にはまりがちだ。

 

さらに予想外の悪材料、イベントが発生する。僕の場合、ガチホしていた銘柄が訴訟された。もともと訴訟されるような銘柄であればともかく、調査をしてみればそれなりに訴訟対策をしている銘柄だったにもかかわらず、公的機関から訴えられたことの衝撃は大きかった。これで僕はガチホから降りたし、多くの古参と言われる人も降りた。

 

 

このように、「持ってるだけ」の「ガチホ」は難しい。

 

持ち続けられずに大利を逃したのは、実に自分の器が足りていなかったのだと、真摯に反省するより他はない。

 

むねん。